45周年記念

東海相談学会45周年記念コメント

[su_box title=”東海相談学会で私が体験している相談というコミュニティ” box_color=”#1f243b”]

大鐘啓伸 理事
名古屋女子大学 准教授

心理学を学んでいたからなのか、相談というと心理相談が頭に浮かぶ。
しかし、現場では様々な悩みごとや困りごとに相談という援助が行われている。
それでも心理相談が相談と思っているのは、心理学という学術的な実証研究があるからだと思い込んでいたところがある。
確かに相談ということは様々な領域で行われている。
その領域によって、相談の仕方がある。
援助を必要として方に、有用であるために相談の形は多様になっている。
しかも、有用な相談といえるように、どのような相談も実践研究に取り組まれている。
数多くの方々が東海相談学会での活動で実践研究の成果を発表している。
東海相談学会にいてもう一つ思ったことがある。
それは、相談という営みがコミュニティの中にあるということである。
コミュニティの概念には,家族・学校・職場集団等の目に見える社会システムだけでなく,それらの社会システム間のネットワークのような目に見えない,アイデンティティを共有した集団も含む「機能的」なものを対象にしている。
また,コミュニティには「地域」という実際の居住地や実際に行動を共にすることが強く意識されている。
コミュニティを相談という視点から考えると、地域社会で生活を営んでいる人びとの心の発生予防、心の支援、社会的能 力の向上、その人びとが生活している心理的・社会的環境の整備、心に関する情報の提供を行う臨床心理学的行為が代表的なものと思う。
臨床家と来談者との相互関係の中で、非専門家や他職種との対等な協働により、成長モデルと現実的な問題解決の視点によって、人と環境の適合性し、エンパワメントしていくものである。
その営みには、コンサルテーション等の間接的支援,予防的・成長促進的支援が含まれる。
このように相談という援助が個人だけでなくコミュニティへも行われていることが分かる。
それは、地域的であり、機能的であるという重層的な営みである。
そして、東海相談学会の皆さんの相談という営みは、コミュニティへの援助も包括している。
言い換えれば、相談を通して様々なコミュニティと関わっているということである。
今後も相談業務は、複雑で多様化していく。
そのような中、東海相談学会が布置していくものは、これからの生きるという人のこころを柔軟に抱えていくものであろう。

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[su_box title=”私的・東海相談学会への参加の仕方” box_color=”#1f243b”]

小畑豊美 理事

偉大な先生方に続いて書かせていただくのは大変恐縮なのですが、私と同じくらいの年代やさらに若いみなさんにも読んでもらえたらなと思い、筆をとりました。
私は、大学生のときに現会長の伊藤義美先生に指導していただき、そのまま大学院でもお世話になりました。
現在は小学校で学校事務の仕事をしています。
心理学とは関係のない仕事…いやいや、子どもたちとのふれあい、教職員や保護者、地域のみなさんとのかかわりなど、大学で学んだことをいかして働いているつもりです。
そして今でも東海相談学会に参加して自己研鑽に励んでいるのです。
学生時代、私の研究テーマは「心の居場所」でした。1992年に文部省中学校課から、児童生徒の不登校問題への対応として児童生徒の「心の居場所づくり」を目指した様々な取り組みについての報告がありました。
しかし、当時はまだ研究としての「居場所」資料は少なかったので、私は参考になるものを求めてあちらこちらの学会や研修会に参加し、「居場所」に関係していそうなテーマ(居場所感とか、居場所グラムとか、居心地の良い場所とか…)で研究していらっしゃる方とのつながりを作ろうと頑張っていました。
そんな中、東海相談学会で初めて発表させていただいたのは、2000年、卒論をまとめたものでした。
その時、参加者の方から「居場所を必要としていると思われる不登校の児童生徒を調査対象にはしないのか」と聞かれたことを覚えています。
その後も、伊藤先生や院生時代の仲間と行ったフォーカシングに関する共同研究など、何回か発表させていただきました。
また、東海相談学会員の中には地元の小中学校の教職員の方がいらっしゃるので、学校で働いている私にとって身近な事例を聞くこともできます。
特別支援学級を担当している先生が月例会報告をしてくださったときには、私の本当に素朴な質問…というより相談、にも答えてくださり、心が温かくなりました。
大学院の授業で読んだ、学校での相談活動についてまとめられた本の中に、学校事務職員は「学校の中で子どもを評価しなくてもよい立場の大人」「学校の教職員という内部の人間とスクールカウンセラーなど外部の人間の間に立てる人」ということが書いてありました。
今でもそれが心の中にあります。
教育現場にいる行政職だからこそできる学校教育環境整備をしたい、そして行政職という立場だけれども積極的に子どもたちとかかわっていきたいと考えているので、これからも東海相談学会で勉強させていただきたいと思っています。

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[su_box title=”東海相談学会と私” box_color=”#1f243b”]

関口純一 理事
心療クリニック・パティオ ちた

感情労働という言葉がある。
顧客と言語的な遣り取りをし、その遣り取りは日常生活で私的に行うものとは違って、その業務特有の基準や訓練に基づいているような労働のことを言う。
最初は飛行機の客室乗務員について言われたようである。
顧客の感情そのものを対象とする相談業務は、相談を受ける側も精神的なストレスが強く、感情労働の元祖のようなものだろうか。
私は主治医としてではなく雇用側の立場から、休職や復職の判断、経過観察のための面接をすることも多い。
最近はサービスの受け手の意識が変化し、サービス提供者に対し厳しい要求を突きつける人が増えてきた。
公務員や教員が市民や保護者から厳しいことを言われて抑うつ的になり、長期に休まねばならなくなった事例を少なからず経験している。
真面目で有能な人が多いこともあって、何とか予防できぬものかとよく考える。
対人サービスに従事する我々は、探偵フィリップ・マーロウの科白のように、おそらく「タフでなければ生きてゆけないし優しくなければ生きてゆく資格がない」のである。
タフと優しいは矛盾するわけではないが、なかなか微妙な関係にある。
タフでないと自分が傷つきやすいが、タフだと必ずしもタフでない相手への配慮が乏しくなりがちである。
優しさは甘さや優柔不断につながりやすい。
私は援助に携わる際いつもこれらのことを意識はしているが、自分自身のことなので、独りで考えていても限界がある。
当学会の会員は特定の職種の集まりではなく多士済々である。
月例会では自分とは違った立場での援助というものを目の当たりにすることが多く、それぞれの「業界」特有の構えや考え方を学ぶことができる。
同職種間で行われることの多いスーパービジョンとは違って広い視野で考えることができ、自己理解や自己変革にたいへん手助けになっていると感じている。

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[su_box title=”東海相談学会と新しい精神療法” box_color=”#1f243b”]

渡辺久雄 理事
愛知みずほ大学大学院 教授
愛知教育大学 名誉教授
東海学園大学 名誉教授

東海相談学会との関わりは、昭和46(1971)年の総会のシンポジウムに、シンポジストとして招かれた時に始まる。
当時の学会の主流は、非指示的アプロ-チであったが、入会への勧誘はかなり指示的であった。
丸井文男会長の時に、学会の事務局をすることになり、故細野純子さんと佐藤勝利さんや中尾道子さんの協力を得て担当した。
いろいろな病者やクライエントと出会うなかで、次の二つの問題意識が新しい精神療法である多角的課題解決療法(DTOP)を開発させた。
①人間というすばらしい賢さと、驚くほどの愚かさを併せ持つ多次元的存在に対して、一つの理論に基づく治療のみでは充分通用しないのは当然である。
②病者やクライエントが少しでも納得できる効果的な援助、治療をしたい。
DTOPの実際として、
①予備・診断面接で、病者の病態レベルとともに、病者が<何を求めているか>、<どのような問題があるのか>の把握に努める。
②病者の精神的心理的問題から、当面の治療目標を設定する。
③それを課題として設定する。課題は精神分析的問題から認知行動療法的問題まで、あらゆるものを含む。
④病者は、その課題を受け止め、担い、治療についての責任を分担していく課題協働体験(渡辺,1992)を積み重ねていく。
⑤一つの課題が解決されると、次の課題が提起されるが、通常、治療終結まで数課題が提起される。
⑥課題が解決されるにつれて治療同盟はより強固になっていき、病者が主体者となっていく。最近の報告は、「忘れられない学生たちと多角的課題解決療法」(精神療法,38:245-251,2012)である。
厳しい産業現場で、悩み苦しんでいる人々を、なんとか援助しようとしている本学会員のカウンセラ-を、DTOPの観点からス-パ-ビジョンをしている。
カウンセラ-が漸次成長して援助していく姿を見ることはうれしいことである。

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[su_box title=”『縺れた糸がほどける営みに努め、かつ新たに糸を紡ぐということ』” box_color=”#1f243b”]

-東海相談学会創立45周年を迎えての活動や思いに寄せて-

田畑治 理事

今日はあらゆる状況で糸が縺れているように思えます。
大状況においても、中状況においても、かつまた小状況においても然りです。大状況とは地球上の世界各国の政治・経済・財政で、それに縺れができ、対立・摩擦が起き、紛争やデモが起こり、他方で飢えや困窮があります。
日本の財政難・輸出入のアンバランス・失業・就職難も然りでしょう。中状況とは人々が幸せに暮らす場での営みができるシステム・制度などがあり、教育・躾け・カウンセリングなどがあります。
これも色々と綻びや縺れができています。特に現代はグローバル化し、少子高齢化が到来し、過疎・過密化が進み、かつIT情報化が進み、情報が乱れ飛ぶ時代になっております。
小状況ではそこに暮らす人々のこころの持ちようにストレス、不安や葛藤が生じ、怒りが蔓延し、うつや自殺が続いておりますし、こころの健康維持が困難になっています。
さらに昨年3・11に発生した東日本大震災とそれに福島第1原発事故が起こり、現地の住民だけでなく、日本人全体を奈落の底に追いやっている状況です。
それへの対応に“絆(きづな)”が流行語になりました。
絆とは結びつき・支援という風に理解できます。
ところで当相談学会の昭和56年(1981年)に開催した第13回大会で近藤章久先生が「カウンセリングをめぐる諸問題」という演題で講演されたことが思い出されます。
先生はカウンセリングは誤解(mis-understanding)から始まり、理解(understanding)に至るという意味あいのことを話されたことが記憶にあります。
当会は、上に述べた様な意味あいで、細々と地道にですが、今日のさまざまな状況の中で、そのシステムやこころの縺れた糸の解き方を模索する営みをすることが求められるのではないでしょうか。
序ながら近藤章久先生の別の著書『セラピストがいかに生きるか』(春秋社、2002年刊)に面白い話があります。
父親に教わったそうですが、海に出て釣り舟からの鯛釣りで糸が縺れたらその束を潮流に放り出し、流れに竿差して“待つ”という話です。
徒に躍起になり解こうとすると却ってグチャグチャになるとのことです。
人間では自然治癒力にも目をやりながら待つという風に理解できます。
その為には各自の立ち位置から研修や研究を積み上げて行く必要があります。
われわれは、乳幼児から高齢者に至る人々のこころの襞に寄り添い、全感覚を研ぎ澄ませて“共感”し、“共感したことを伝え返す”ということを実践して行き、その研修にもっと努めるように日々自覚してゆく課題がありましょう。
人々に生きる希望が出てくるように、家庭内で、組織内・組織間で、地域内・地域間で、国際間で相互に求められる時期でしょう。
そして人々の“こころに絆が根づくこと”が求められるのです。

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[su_box title=”「東海相談学会創立45周年に寄せて」” box_color=”#1f243b”]

稲葉聡 理事
NPO法人 愛知カウンセリング協会

私が東海相談学会で初めて自分の体験を発表したのは、1979年9月の月例会でした。
「カウンセリングへの第一歩」と題したレポートは、中学校新任後7年間に悪戦苦闘した生徒とかかわりと、カウンセリングへの出会い、今後の進むべき決意をつたないながらも精一杯表現したものでした。
その歩みは現在も続き、いっそう自分の中で確かなものとなっていることをうれしく思っております。
本学会で特に印象深いのは、13回大会(1981)で記念講演された八雲学園近藤章久先生のお話でした。
先生の深い人間理解と世界的な見識、あつい情熱にいたく感動しました。
その後も小倉清・山中康裕・佐治守夫諸先生方の感動的なお話と共に、多くの生徒達とのかかわりを通して、この道が自分の中で不動のものと確信することができました。
及ばずながら理事の端くれに加えていただいたのは1987年でしたが、当時は田畑治先生始めそうそうたる理事の方々の中で何一つ言えない自分がいました。
しかし、それ以来自分の中で節目の折に幾度かレポートを発表させていただいたり、仲間に紹介しケースの発表・検討という貴重な機会を得ることができました。
今回この小文を書くにあたり、記録を頼りに過去にさかのぼり、かつてこのような感動を味わわせていただいた本学会への感謝と、それに感動できたナイーブな自分自身が再びよみがえってまいりました。
これをきっかけとして、及ばずながら本学会の発展に多少とも寄与したいと願っております。

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[su_box title=”「相談学会に導かれた四半世紀」” box_color=”#1f243b”]

栗原壯一郎 理事
㈱オリエンタル労働衛生協会
ヘルスマネジメント・サポートセンター

私が東海相談学会に加えていただいたのは35年ほど前であったろう。
自動車産業が急激に大きくなる時期であり、地方から来た若者たちの生活のサポートが大きな課題であった。
仕事をしてお金を得ることの大変さ、故郷を思う郷愁が重なり数々の不平不満や非社会的行動となって表面化する。
そうした彼らの話を聴くのが私の仕事であった。
しかし、彼らと時間を共有し楽しく過ごすことはできるが、彼らの気持ちを聴けていない自分を感じていた。
「個々の気持に密着し過ぎなのか?」「組織人としての目線が先行し、気持に寄り添うことができないのか?」そうしたとまどいが、相談学会に足を運ぶきっかけであった。
研究会の参加者は多くないものの、それぞれの立場で相談者の気持に寄り添うことに心を砕き、交わされる一言々々にこだわり、言葉の意味するところやクライエントに及ぼす影響について熱心な議論が交わされ、「相談はこのレベルまで踏み込まなければならないのか」と衝撃を受けた。
クライエントは環境に適応できず自分の問題として苦しんでいる。
その苦しみを理解し、支え共に考え、気づきを呼び覚ます。
それは大切なプロセスであり、姿であると感じた。
産業界でカウンセリングを導入している事業場はまだ少なく、ケース検討で職場の問題が取り上げられることは多く無かったが、職場で顕在化する問題の多くは、個人的な特性と組織の歪が複雑に絡み合っている。
そうした実情を考えれば、「組織の課題を整理し改めれば、相談活動がもっと有効に機能するのではないか。」そうした思いから、個別相談への対応と事案を取り巻く環境調整を併せ行うことのできる組織風土を創ることに力を注いでいる。
その結果ある程度の成果は見たが、激しい環境変化の中で継続するには苦慮している事実は隠せない。
職場を取り巻く環境はますます厳しく、メンタルヘルス対策は事業場の存亡をかけた重要課題となっているが、現状を見る限り発生した事案の対応に追われるのみで、未然防止としての環境調整はいまだ手つかずといった事業場が多い。
そうした中で少しでも多くの事業場で取り組みが進められるよう、労働衛生機関に数名のカウンセラーや臨床心理士そして精神科顧問医の協力も得、前向きな活動を試みようとする事業場の支援をしている。
好事案については会員の皆さんにご報告し、相談学会のお役にたちたいとも願っています。

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[su_box title=”「花無心而招蝶」” box_color=”#1f243b”]

高橋幸夫 理事

東海相談学会は昭和42年、1967年12月10日名古屋市教育館で発会。
初代会長は愛知教育大学の森田清教授、二代目会長が名古屋大学の丸井文夫教授、三代目会長が田畑治教授で、現会長の伊藤義美教授が四代目となります。
私は縁に恵まれ、発会当初からの東海相談学会会員であります。
この45年もの長い間、会員として、理事としての体験をさせていただいたのです。
今、好機に恵まれ、記憶の底から昔時の私を探り出す作業をしてみました。
第一に想起されたのは1960年ごろ「名古屋カウンセリング・センター」の呼びかけに応じて、カウンセリングの研修会に参加しはじめたこと。
第二には1965年に愛知県立松蔭高等学校に転勤し、校務分掌として教育相談を担当できたこと。
第三には「日本カウンセリング・センターの理事長、友田不二男先生」との厳正で痛烈な「出会い」に恵まれ、その4年後、1968年、43歳の時に友田先生から「カウンセラーの称号」を拝受できたことでありましょう。
現在の私は86歳ですから、これまでの私の人生の2分の1は「カウンセラーとして生きてきた」と言うことができる自分を嬉しく、誇らしく思えています。
この拙文を読んでいらっしゃる貴方と同じように、私も大切にしているカウンセラーの在り方には「受容」と「純粋一致」、「共感的理解」があります。
ところでロジャーズ博士のカウンセリング・デモンストレーション、VTR「グロリアと3人のセラピスト」の中で、ロジャーズ博士は次のような解説をしています。
日本語訳は佐治守夫先生、公刊は日本精神・技術研究所です。
「治療の過程や建設的な変容は、私が相手を自発的に、心から一人の独立した人格として大切にしているときに起きると信じます。
それを受容(accep‐tance)と呼んでもいいし、所有欲のない愛情(non‐possessive love)といってもいいでしょう」と。
ところで、表題に示した「花無心而招蝶」というのは良寛禅師の言葉であると伝えられています。
「花、無心にして蝶を招く」と読みます。
「無心」とは受容の心が、心いっぱいに伸び広がっている姿。
そして蝶が求める時は、必要十分な蜜の用意もある姿。
蝶が舞う自主的な喜びの舞を、温かく静かに喜んで見守り、より添えている姿を象徴している言葉だと思っています。
私はこの姿が私の姿となることを目指して、歩き続けていきたいと志しています。

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[su_box title=”「東海相談学会における活動や思い」” box_color=”#1f243b”]

三和啓二 理事

平成23年度で45周年、誠におめでとうございます。
私が本学会に入会したのは、カウンセリングを学ぶ方々と繋がっていたかったからです。
私は、片口安史教授に師事したおかげで、空井健三教授、そのお二人の先輩の村上英治先生や佐治守夫先生らに、ロールシャッハ・テスト、カウンセリング、精神分析学、そして病院臨床を学ぶことができました。
さらに、西村洲衛男、河合隼雄両先生に出会えて、バウム・テスト、箱庭療法、ユングの分析心理学に心を開かれました。
私は、大学院生時代から、名古屋心理臨床家協会、名古屋ロールシャッハ研究会を始め、日本心理学会、日本精神分析学会などに入会し、病院に就職してからは、全国心理臨床家の集いで発表し、日本心理臨床学会の発足に立ち会い、日本内観学会の発足時に発表するなど、時代の激流の中で先達に、必死でついていこうとしていました。
そんな時、一番身近でカウンセリングに取り組む人々と出会えるのが、本学会でした。
年一回の総会&研究発表大会に加えて、月例会が開かれ、教育、医療、保健、矯正、福祉領域などでご活躍の方々の生き生きとしたお話を詳しくお聞きでき、興味深く、今も楽しく勉強させて頂いています。
印象深かったのは、生徒と真剣に体当たりでぶつかり取り組んでいらした若い女性教員のご発表です。
その迫力に心打たれて、感動したことを覚えています。
私の方は、若年からの飲酒と不登校の関連を発表させて頂き、世代連鎖に注意を喚起しました。
講演会では、畠瀬直子先生がカール・ロジャーズとの出会いと親交を語って下さり、カールとお呼びになっていらしたお話がほほえましく親しみが持てました。
また、桐山雅子先生が学生相談のお話をして下さり、冊子をお見せ下さいました。
『教職員のための学生と向き合う25の提案』を見て、高校・中学・小学校版を作りたいと着想し、それを願い出て、桐山先生に作成のご許可を頂きました。
現在、仲間たちと共に作成に着手中です。
いよいよ、平成23年度の本学会総会・研究発表大会が平成24年3月4日に名古屋大学で開催されます。
村山正治先生(学校臨床心理士ワーキンググループ代表)のご講演があります。
この機会に、カウンセリングに携わる方々に本学会に入会して頂き、村山先生のお話とお人柄に是非触れていただきたいと願っています。

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